ゆっくり幸せになる文章が存在するということ。
昨日YouTubeの
「ずっとやりかったことをやりなさい」の本紹介を視聴した。
アーティストになりたい人がやるルーチンすすめが
●朝ノート3枚分何かをなんでもいいから何かを書くこと、それは誰にも見せないこと
らしい
朝?と思い考えてみたいけれど
そうか、日記を書くのも朝でもいいんだ!と思った。
今日あった出来事を書くよりも
今日はなにしよう、昨日はこうだった
とか書くのもいいよなあと思えた。
さっそく今朝からやってみたけど、書いてる途中でふと考えた
すすめによると、「誰にもみせいないこと」も条件なのだか、
「この誰にも読まれない文章はこの先どうやって生きていくのだろう?」と。
寂しいような気分になったけれど、
誰にも読まれない文章というのはそれはそれで幸せかも、と思えた。
なにより書いてる時に幸せなのだ。
面白くもなくていいし、誰のためでもない、めちゃくちゃでいい。思ったままに書いていいのだから。
誰にも見せない文章はゆっくり幸せになるんだろうと思った。
特別に幸せな存在なのだと、そう感じた